有資格者なのに給与が低すぎると感じています。低いのが当たり前、最初は給料がもらえるだけでもありがたい、と考える人もいると聞きました。日本語教師のみなさんは、どうお考えなのか教えてください。(複数の方々+日本村)
- コマとコマの間の休憩時間も事実上の拘束時間です。1コマ授業+休息を合わせて60分と考えてください。
- 「教案などの授業準備」「当日の授業前準備」「授業後の作業」などを含めてのコマ給です。授業とは切り離される業務は含まれません。
- 日本国内を想定しての質問です。
- 地域により賃金差があると思いますので、ご自身の都道府県の最低賃金(1時間)を基準にお答えください。
- 最低賃金:厚生労働省・地域別最低賃金の全国一覧
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コメント
有資格者だからといって能力があるとは限りません。新人である場合、どの仕事でも同じですが、はじめから高時給を要求するのは違うと思います。実力が認められれば、お給料は上がるものですが、はじめから高時給を要求するのは教師の姿勢として、また社会人として何か違う気がします。実際、新人のはじめから高時給を要求される先生は授業に問題がある先生が多い気がします。
能力はなくとも有資格者だから給料をあげろと言い、研修もしろという。
時代が違うとか、色々言う人がいますが、やめる人はやはり実力がなく、給料以外のことも含めてやめていく人を何人も見てきました。
自然と淘汰されていきました。
自宅での授業準備、学校での授業準備、授業後の引き継ぎ、宿題チェック、採点などなど、授業以外で拘束される時間は最低でも7時間は必要かと考えます。
私も日本語教師ですし、授業準備の苦労は身をもって知っています。お給料も安すぎるのは変えていかなければならない点です。しかし、授業準備、授業後の処理にかかる時間をそのまま堂々と伝え、その分のお給料を要求するのは違うのではないでしょうか。雇用側は給与面の改善を考えるのと同時に、講師側も要する時間をどれだけ短縮するかを改善する努力は必要です。どの会社でも今は仕事が多くても残業を減らし効率を上げることは求められていることです。権利ばかり主張するのは、間違っていると思います。(もちろん非常勤への教科書配布、授業準備手当などの必要はあると思いますが、条件もなくお給料が低いと主張ばかりが多くなる日本語業界の質に不安を覚えます)
授業準備だけでなく、生活のフォローなどのサービス業務が多いのに食べていけない、と心理的に疲弊して高学歴の若い教師からどんどん辞めていきます。
生活のフォローは、日本語教師ではなく、事務側がメインですることなのではないでしょうか。学校側の体系によってそのあたりの疲弊の度合いは変わってくると思います。授業以外のサービス業務が業務に含まれているのであれば、それはもちろん手当が必要だと思います。
1. 授業: 1時間
2. 事前準備: 2時間
3. 通勤往復: 2時間
として、計5時間。
→ 授業4コマ計3時間なら、
( 時給×3時間 )/ ( 5+3 = ) 8 が、授業に要する1時間当たりの実質報酬。
時給@ 実質@
1,600 → 600
2,000 → 750
2,500 → 937
通勤時間を給与時間の対象にする考えは初めて聞きました…。
言いたいことはわかる。
でも、わけのわからない計算式(通勤時間を入れる?コマ数が増えても準備時間が同じ?)はインパクトはあっても、ファクトではないと思う。
今の若い人にこんな仕事をする金銭的余裕はないです。
最初から高給料を求めるのは違うと書かれている方がおられますが、そもそも出発点が低すぎるし、時間外労働も多すぎます。
給料をあげてほしいと言うと「金のことばっかり言って仕事がおろそか~」のようなことを言う方が必ずいますが、高給が欲しいわけではなく(高給が欲しければこんな業界にいません)、普通に生活できる給料がほしいだけです。時間外労働にもきちんと手当を出してほしいだけです。どれだけの学校が授業準備、教案作成、テスト採点に手当を出しているのでしょうか?
現状を良しとするなら、能力があがるまで頑張れない人がほとんどでしょうね。「能力があがれば給料が上がる」それは当たり前です。どの業界も当たり前のことです。そうでなければ人は残りません。そして他の業界なら新人にもそれなりの給料は出すでしょうね。
典型的なやりがい搾取&職人気質の労働で今まで馴染んでこられた方たちには、権利ばかり主張していると思われるかもしれませんが、そもそも今までがかなり異常な状態だと思います。はっきり言っていわゆるブラック業界です。
周囲の志のある方で、仕事として続けている方は本当に少ないです。
そもそも、無報酬でもしたいと思えるか、という点が仕事探しのスタートです。
そして、そのような仕事に就けた場合は、幸せな人生が送れます。
私の人生は、お金のためにはありません。
給料が安いのはいくらでも補充できるからでしょう。そうではなく、採用を難しくして、能力ある先生を採用し、環境を整え、定着率を上げるべきです。いい先生に残って欲しいのなら、生活できるぐらいの給料を出すのは当たり前だと思います。今のように新人を使い捨てにするようなシステムは考え直すべきです。
「高い賃金を求めるのは違うと思う」と言っている先生方は、日本の伝統的な雇用システムを念頭に置いて発言しているのでしょうね。雇用が継続されるのは当たり前。能力が上がれば上の者の誰かが見ていてくれる。そして、能力が上がれば自分から主張しないでも、雇用側が勝手に給料を上げてくれる、と、そう信じているのでしょう。
残念ながら、時代が違います。
休み時間とテストの採点を含め学校での労働時間は約5時間、教案作成を含めると10時間以上かかると思います。新人はゼロベースから何もかも行いますし、専任の先生のサポートも受けるので研修の身とはいえ、有資格者であればそれなりの待遇も受けないととても日本語講師で生計を立てるのは不可能でしょう。
日本語講師が社会にとって有用なのであれば、非常勤であろうと給与の見直しが求められると思います。
日本語教師の給料の問題だけではなく、日本語学校に対して国が補助をする必要があるのではないでしょうか。国が外国人を必要とするのなら当然かと思います。生徒さんの授業料で運営するのは、明らかに無理があります。物価が違うのですから。
生徒もいろいろだというご意見もあるかと思いますが、それなら受け入れ自体から議論すべきで、とにかく今の環境を整えることを考えていくべきだと思います。
新人の間はどうしても授業準備に時間がかかるし、授業でも力不足は否めません。しかしながら、職に就く前に時間と労力をかけて学んだということは、無資格のボランティアとは違うと思います。大学の教職と採用試験を経た小中高の新人教職と同じではないでしょうか?やはりそれを考えるとある程度の賃金は払われるべきだと思っています。通勤時間に言及されている方がいらっしゃるようですが、一般の企業同様、それは応募する際の判断材料の一つですし、上限はあっても通勤手当は出るので、別次元の話ではないでしょうか。
収入の低さが理由で日本語教師にならなかった者です。
現在は民間企業の総務・人事部の中で、通常業務をやりながら外国人社員を対象に日本語指導をしています。
この職業はやりがいや楽しさはありますが、日本語学校で雇われた場合の時給だけで見ると工場の単純作業と同じくらいですしね。
かといって授業料を上げて、学習者から利益を得てそれを先生や事務員の給与アップに当てたり、一人の先生が受け持つ学習者の数を増やして効率上げたりしたりといった対策も限度があります。
ここのコメント欄では広い視点で書き込みをされているうめきちさんと、とあるベテランさんのみ支持します。
いいねボタンだけでは味気ないので私もコメントしました。
個人的にはこの業界で団体を作り国に働きかけるくらいのことをしないとだめだと思ってます。
あるいは誰か政治活動をしてくれる候補者を立てて動いてもらわないと。
自分の感覚だとベテランの先生方でさえ、それほど給料高くないと思ってます。