自分の授業を(自分でも学習者でもない)第三者に見せ、フィードバックをもらうことはとても有益だと思います。いつでも歓迎しています。
みなさんはどうですか。その理由もお聞かせください。
*業務・職務上必要な見学を除く。
投票は終了しました。(2021/2/24-2021/3/6:全127票)
ご協力、ありがとうございました。
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自分の授業を(自分でも学習者でもない)第三者に見せ、フィードバックをもらうことはとても有益だと思います。いつでも歓迎しています。
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コメント
授業を見せることは、自分の勉強になるので歓迎します。しかし、見る目的があらさがしをするためである場合もあるので打たれ強くなる必要があると思います。
授業を見せることは、自分の勉強になるので歓迎します。しかし、見る目的があらさがしをするためである場合もあるので打たれ強くなる必要があると思います。
学習者にどうやって興味を持たせるか、学習者にどのように終盤まで気持ちをキープさせるかは、自分自身で考えてやるしかない。他人から教えてもらうものではない。
大歓迎ではないけれど、他の先生の授業を見せて勉強したいと言う以上、自分の授業は見せたくないというのはアンフェアだと思います。
基本的に見て頂くことに関して賛成です。
やっているつもりでも、自分では気づかないこともありますし、違う角度からのご意見も拝聴できるチャンスだと思います。
また、私たちの仕事は室内で自分1人が教えるので、えてして独りよがりになってしまいがちです。
時々「私は日本語を教えるのは一番うまい」という声を耳にすることがありますが、私は頷けません。
完璧な授業に近づこうと日々努力することは必要だと思いますが、自己完結されていると必ず弊害が出てきます。
私が日本での教員時代では、有志で集まってお互いに授業を見せ合っていました。
ただ、危惧するのは「お互いに高め合おう」という意識が低い場合、反感だけが残ってしまうことになります。
お互いの信頼関係や意識が必要だと思います。
「見せてもらってもいいですか。」と聞かれたら、「恥ずかしいですが、どうぞ」と言ってました。終わってから、「どこか参考になりましたか。」と聞いて、「おかしいところありましたか。」と確認しました。そのあと、「今度は見せてください。」とお願いしました。日本語教師の授業は100点満点はないと思いますので、お互い素朴に、見せる・見られるを気軽にできたほうが良いかと思ってます。
「室内で自分1人が教えるので、えてして独りよがりになってしまいがち」というご意見に賛成です。
「他人から教えてもらうものではない」という考えは疑問に思います。
100人いれば100通りの授業があり、99通りのやり方を見て自分を磨くことは大事なことだと思います、自分では思いつかないようなアプローチの仕方を見て刺激を受けたり、まずいやり方を見て反面教師にしたり、どんな授業も自分の糧になることはあれ、マイナスになることはありません。
見られて批判されるのが怖いというのか一番の拒否理由の本音ではないかと推察します。
お互いの仕事の質をよくするために助け合うというルールを全員で守る必要があります。
・いい点と悪い点の両方をあげる
・お互いの授業の質を高める目的で発言し、どの点をどうすれば良いかというアドバイスを提案する
・感情ではなく、理論で伝える
など、伝え方のルールを設定し、それを遵守して気持ちよく高め合おうという意識が必要だと思います。